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Projectとは?

プロジェクトとは何でしょう? : 一緒に考えましょう

このプログラムでは、学生の皆さんそれぞれが、自分の興味・関心に基づく「プロジェクト(Project)」を立ち上げ、それを実施します。プロジェクトの成果はプレゼンテーションという形で英語で行い、世界に向けて発信します。Project 1から、Project 2、Project 3・・・と進んでいきますが、この本質は全く変わりません。皆さん自身のプロジェクトを果敢にそして自由に行い、それを英語でグローバルに発信しましょう!

皆さんは「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」での取り組みを通して、様々な機会を得、多くのチャレンジを行うと思います。プロジェクトが時間軸で進むにつれて、取り扱うスキルや期待される水準は異なってきます。しかしながら、プロジェクトの本質である、「自分の興味・関心に基づきプロジェクトを立ち上げ実行し、英語で発信する」という「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」の型(プロトタイプ)は一切変わりません。ですから、皆さんそれぞれの興味、関心を大切にして下さい。理想的には、それを自分の仕事や、人生をかけて取り組む内容に昇華させて下さい。授業のためにプロジェクトを立ち上げるのではなく、自分の人生を、生活をプロジェクトのコンテンツにして下さい。「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」は英語プログラムです。必修の英語カリキュラムとして履修が義務付けられています。したがって、皆さんが英語の能力を高めることはもちろん期待します。しかし、誤解しないでもらいたいのは、プロジェクトは英語学習のための手段ではないということです。皆さんにはグローバル社会で、自分の好きなこと、興味のあることで縦横無尽にプロジェクトを立ち上げ、時に世界中の仲間と協働し、それを人々の役に立ててもらいたいと本気で思っています。そして「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」において、その第一歩を踏み出してもらいたいと思っています。英語でプロジェクトを発信する理由は、グローバル社会で最も使われている主要言語は英語だからです。それ以上でも以下でもありません。つまり、「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」の第一の目的は、皆さんに(英語で)プロジェクトができるようになってもらいたいこと、これに尽きます。そして結果的に、もしくは副産物的にとも言いますが、気づいてみたら英語ができるようになっている、これが目指す姿です。詰め込み式の学習とは違って、「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」では、これまでとは違った形、リサーチやプレゼンテーションの活動のなかで多量の英語を読み、書き、話し、聞きます。これは皆さんが持っている英語力を高め、知識として眠っていたものを使えるようにします。しかしあくまでこれは主目的ではありません。これが「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」がいわゆるこれまでの「コンテンツ・ベースド」型の英語教授法とは一線を画す所以です。

皆さんが取り組むプロジェクトは、繰り返しになりますが、皆さんの興味、関心に基づきます。したがって、一つとして同じプロジェクトは存在しません。また皆さん自身も年齢や経験を重ねることでプロジェクトの内容が変化することもあるでしょう。つまり、どのプロジェクトが最も良いとか、このプロジェクトは満点で、これ以上改善の余地はない、ということは「ありえません」。時間的な制約で、中間、最終発表を行うことになりますが、しかしそれは皆さんのプロジェクトが「終わる」ことを意味するものでは決してないことを理解して下さい。ネバー・エンディング・プロジェクト、これこそがプロジェクトの醍醐味です。

私たちPEPの教員は、皆さん一人一人が、マイプロジェクトを持ち、誰に強制されるでもなく、自らの「ライフロングプロジェクト」として積極的にそれに取り組んで頂きたいと思います。そして、そのプロジェクトが皆さんの人生を形作っていくこと、一部の人だけでなく、全員がそれを行うことが重要だと思っています。

それではプロジェクトとは何でしょうか。少し立ち入って、この中身について検討してみましょう。

Kilpatrickのプロジェクト論に対する誤解と批判

「プロジェクト」という用語は、昨今ではだいぶ身近に、日常生活でも定着してきた用語だと思います。一昔前までは、小学校の「夏休み自由研究課題」と言っていたものが、「夏休み自由研究プロジェクト」と呼ばれることも多くなってきましたし、皆さんが会社で取り組んでおられる仕事も「◯◯プロジェクト」と呼ばれることも多いと思います。この場合前者は、課題や、計画といった意味で用いられていますし、後者は、案件や計画と言った意味でしょう。この他にも「建築」に関わって専門的にプロジェクトと呼ばれることもあります。また身近なところで、「友達を作ろうプロジェクト」であったり、「フルマラソン・プロジェクト」のような、チャレンジしてみること、取り組んでみることを「プロジェクト」と身近に呼ぶようになっています。こう見てみると、実はプロジェクトの意味も非常に多岐にわたっていますが、私たちは「広義のプロジェクト論」の立場に立っています。つまり、プロジェクトの定義をできるだけ広く捉えようとするものです。したがって、ビジネスで案件として称される「プロジェクト」だけではなく、身近なプロジェクト、様々なところで呼ばれるプロジェクト、全てを指したいと思っています。

また、あえて、昨今のプロジェクトの使い方に傾向を見出すならば、その多くに「時限的な」プロジェクトという意味があるように思います。つまり、特定の期間、取り組むのがプロジェクトであり、プロジェクトには終わりやゴールがあって、企業のプロジェクト等はその典型ですが、プロジェクトが終了したら、そのプロジェクトチームは解消し、また新たなプロジェクトに所属するような、そういった「期間が限られた」プロジェクトのイメージです。しかしプロジェクトは、本来、終わりのないものだと思っています。人生をかけて取り組むプロジェクト、ライフロングプロジェクトなどは、どちらかというと、期限が定まっているものではありません。したがってこれもプロジェクトです。パブリックなものからプライベートなものまで、小さなものから大きなものまで、時間の限られたものから限られていないものまで、様々な位置付けにあるプロジェクト全てを、私たちはプロジェクトの仲間に入れて考えたいと思います。したがって、どうぞ皆さんご自身も、プロジェクトとは何か、プロジェクトの定義とは何か、考えてみて頂きたいと思います。

先ほども述べたように、プロジェクトという言葉は、学校教育の分野でも数多く用いられるようになってきました。総合的な学習の時間や、情報のプロジェクト学習、社会科のテーマ学習など、こうした機会がより多く設けられるようになったことも一因かと思いますが、プロジェクト学習とか、プロジェクト型の授業とか、こんな言い方をよく耳にします。私たち自身も、教育の分野のプロジェクトについて研究、実践してきましたので、話の文脈をやや教育の側に寄せますが、こうして普及し、よく使われるようになった「プロジェクト」という考えについて、皆さんどんなイメージをお持ちですか? 確かにプロジェクト教育というのは、一種の「流行り」でもありますから、比較的良いイメージを持たれる方も多いかもしれません。しかし、ここでまず強調しておきたいのは、かつてアメリカでは、プロジェクトという教育メソッドが大変な批判にさらされた時代がありました。

20世紀初頭、アメリカの教育哲学として、「プロジェクト」という概念を一躍世界に知らしめたのがKilpatrickでした。プロジェクトという概念そのものは遥か昔からありましたが、これをプロジェクト・メソッドとして、教育方法論として活用したのがキルパトリックでした。ところが、このキルパトリックのプロジェクト論に対しては強い批判が起こりました。いくつか具体的な批判の例を挙げますと、「活動偏重、知識軽視」、「教科の組織的体系の軽視」、「放任」といった手厳しい論評です。

これはもちろん、キルパトリックにも非があります。彼は、プロジェクトを通しての学びが「付随的にしか起こらない」と言ってしまったんです。プロジェクトを遂行する際には必要最小限度の知識、minimum essentialsの習得のみが行われ、それ以外の学びは、付随的だ、偶発的だと言ってしまったんです。

みなさんこれを聞いてどう思われますか? 

初等、中等教育の関係者であれば、この批判は確かに当たっているな、そうかもしれないなと思うかもしれません。教育とは関係のない、ビジネスや私生活上のプロジェクトだとしても、目的に特化しすぎるがあまり、深いところには到達しない、浅い、手足だけ動かしていて、ただ「こなす」だけの傾向がプロジェクトにあると言われたら、「そう言われればそうかもしれないな」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしながらPEPは、こうした考え方が、あくまで一方向的な見方であること、誤解に基づいた偏見であることを主張します。そして一貫してプロジェクトによる教育、プロジェクトによる生活、そしてプロジェクによる人生を肯定します。プロジェクトをすることが、学びにとっても、人生にとっても「良い」と思っています。皆さんにもどんどん「プロジェクト型」で、マイプロジェクトに取り組んでもらうことを大いに勧めます。キルパトリックに向けられたプロジェクトに対する批判は、決してプロジェクトの全否定には当たらないことを、これから徐々に説明していきたいと思っています。

しかしそうは言っても、このキルパトリックに向けられた批判は、はっきり言って的を射ています。耳が痛いと言ったらその通りですし、完全に反論し切れるかと言ったら私たちにもその自信はありません。つまり、プロジェクトには、ただ闇雲に取り組むだけなら、活動偏重、つまり思考が深まるわけではなく、知識がおろそかにされる傾向が否めないこと、適当にプロジェクトを「こなす」だけなら、しっかりとした「学び」、別の言葉で言い換えるならば、自身の「成長」が起こらないこと、そんな脆弱性、弱点がプロジェクトにはある、ということは正直に述べておきたいと思います。しかし、私たちが述べる意味で「マイプロジェクト」が実施されるならば、学びは体系的に起こり、取り組みに対しては強いモチベーションが喚起され続けます。

ここでは、プロジェクト型で取り組むことによる特徴を1つお話ししておきたいと思います。これはプロジェクト型のメリットだとも思っています。

プロジェクトを通して物事に取り組むとき、当然ですが、最優先事項はプロジェクトの遂行です。プロジェクトを実施すること、目的を達成すること、それに100%集中するわけです。そして、プロジェクトは、皆さん自身の関心のあることをやって下さい。ごっこはいりません。フィクションもいりません。本物の、リアルな自分の関心事をプロジェクトにして下さい。当然そこには、いわゆる真正の、オーセンティックな環境が生まれます。常にプロジェクトのことが気になって仕方がなくなります。しかし、それは自分が欲したことですから、どれだけ考えても苦にはならないはずです。つまり、プロジェクトは私たちを、プロジェクトの遂行へ動機づけるんです。自分の関心とプロジェクトが連動することで、生活の一部がプロジェクトになります。プロジェクトの遂行が、プロジェクトの目的の達成に近づくことが、自分の人生や自分の生活にとって役に立つことになります。もちろん、そのためには、そもそものプロジェクトの設定に失敗しては意味がありませんが、うまくプロジェクトを立ち上げることさえできれば、モチベーションは維持されるどころか、高まり続けるでしょう。

そしてプロジェクトの良いところは、一人一人が自分のプロジェクトに自律的かつ自発的に関わるところにあります。先ほども述べた通り、プロジェクトを遂行するんです。目的達成のために取り組むんです。どのようにゴールにたどり着くか、その道筋は、皆さんが決めていいんです。話を分かりやすくするために具体的な例を挙げてみましょう。例えば皆さんが、英語が得意になるプロジェクトを組んだとします。先ほども述べた通り、プロジェクトの場合、最優先事項は、プロジェクトをやることです。しかし、このプロジェクトのやり方は、千差万別で、皆さんが好きなように決めていいんです。例えば自分は、とにかく英語の母語話者を見つけてきて、話しまくる、それでもって得意になろう、そういう方略を取ったとします。立派な一つの手段です。

しかし、英語が得意になるためには、他の手段もあり得るはずです。例えば、まずは語彙を増やすことを集中的に行い、ある程度の数の語彙が身についたところで、話す練習をして得意にするというのも一つの方略です。あるいは、話すためには聞けなければいけませんから、リスニングやシャドーイングの訓練をする方法もあるでしょう。さらには、いきなり海外に留学して滞在することで得意にする人、世界中の友達をたくさん作って得意にする作戦を考える人、仕事で英語を使わざるを得ない環境に持って行く人、毎日1本ずつ、字幕なしで英語の映画を見ることにする人など、方法は無限にあります。そして、こうした無限の方法の中から、皆さんが好きな方略、やってみたい方法でプロジェクトは取り組んでいいんです。

つまり、マイプロジェクトとは、取り組む内容そのものも自由ですが、そのプロジェクトの取り組み方も皆さんが自由に決めることができる、そんな選択の幅が広い方法論なんです。やや小難しい言い方をすれば、プロジェクトには「中期目標の自由度」が備わっています。ゴールや目標という最後の、究極的な到達点に至るまでの、その中間地点の目標や取り組み方は、皆さんが自由に決めていいんです。得意なことから取り組む人、嫌なことを先に片付けてしまう人、あるいは、得意なことだけやってプロジェクトを達成する人など、全く人それぞれ、好きなように取り組んでいいんです。ここに、プロジェクトの自由さがあります。自由というのは楽しくていいですが、別の観点から見れば、自分で考えて、戦略的に進めなければ、ちっとも前に進まないということがあります。

そして実は、この構造はゲームと似ています。ゲームは、クリアという明確な目標に向かって、プレーヤーは自分で好きな戦略を立て、中期目標を設定し、好きなように取り組みます。ゲームの要素をゲーム以外のことに応用することをゲーミフィケーションと言いますが、このプロジェクトの場合も、ゲーミフィケーションの要素があると思っています。もちろん、ゲームのようにやることを推奨している訳でも、プロジェクトがゲーミフィケーションの恩恵を受けていると言いたい訳でもありません。ゲームとの類似点を探ることは本題から外れますから詳しく言及するつもりはありませんが、ゲームに私たちが学ぶべきこと、それは、あの熱中の仕組みです。

ゲームが好きな方は良く分かると思いますが、ゲームはどれだけやっても飽きませんし、熱中しますし、楽しいですし、そして、自分のやり方で好きなように取り組むことができます。しかし、基本的にはゲームのクリアという大目標に向かって、取り組んでいるわけです。このゲームの熱中の仕組みはプロジェクトに取り入れるべきです。そして本来のプロジェクトのあり方、自分のやりたいことをプロジェクトにし、そのプロジェクトの遂行に専心する、そんな環境が構築できれば、人は熱中するはずです。これはゲームの仕組みと同じです。

ここまでプロジェクトという活動をメタ的に説明してみました。なぜプロジェクトが活動の方法として、さらに教育方法論として意味があるのか、その一端をお分かりになっていただけたのではないかと思います。

【付録】「プロジェクト発信型英語プログラム(PEP)」で行う「プレゼンテーション(発表)」と「プロジェクト/プレゼンテーション・スキル」

プレゼンテーションとは、「発表という行為を通して、相手の認識を変える」ことです。自分が説明することで、相手が理解してくれたり、納得してくれたり、上手くいけば反対だった意見を賛成に変えてくれたりできるわけです。こちらがある情報を提供し、相手がその情報を得ることで知識が増えるというのも、一種の「相手の認識を変える」行為です。これがビジネスの分野になれば、プレゼンテーションは一種の「売り込み」であり、これによって相手が「物を買う」、すなわち「売り上げにつながる」わけです。この意味で考えるならば、プレゼンテーションをすることで、「確かにそういう考えもあるな」、「100%納得はできないし、同意もできないが、(少しは)興味が持てたな」といかに相手に思ってもらえるかが重要なわけです。自分がいくら◯◯が大好きだ、◯◯はすごいんだ、と語ってみたところで、それが相手の認識を変えない限り、「ふーん」、「だから何?」となってしまい、プレゼンテーションとしては失敗に終わってしまいます。「だから何?」を英語で言うと、そのままなのですが「So what?」となり、これはかなりきつい言い方です。

自分のプレゼンテーションには聞く価値(意味/意義)がある、聞いておいて損はない、とオーディエンスに思ってもらうにはどうしたら良いでしょうか。もっと言えば、どうしたら「独りよがり」と思われないプレゼンテーションができるのか、ポイントは、自分の発表内容に可能な限り客観性を持たせることです。つまり、自分だけがそう思っているわけではないという「データ」をいかに示すことができるのか、そうした「エビデンス(証拠)」をできるだけ準備するがとても重要になります。「△△が好きだ、だからすごいと思う」、ではなく、「△△は自分も好きだが、□□のランキングで◯位にランクインしている。また著名な☆☆も次のように評価している・・・」など、なるべく客観的なエビデンスを多く用意することで、結果的に自分の主張に説得力が増します。もちろん主観的な評価や価値判断もあって構いませんし、そういった「熱意」も時には大きく物を言います。相手を動かすわけです。そしてもともとのプロジェクトのモチベーションとして、「好きだから取り組む」、「興味があるから調べる」で全く構わないのですが、プレゼンテーションとして考える際、相手が納得しやすいような「ストーリー」をいかに構築できるか、そのためにエビデンスをいかに用意できるかは大変重要な要素です。